3年連続で、「首都圏版 住みここちランキング」で1位を獲得している中央区。
生活利便性が非常に高く、人々の暮らしに必要なことが「ギュッと」詰まっていることが人気の理由だそうです。元々中央区は江戸城の城下町で下町。昔から人々の暮らしに必要なことがギュッと詰まっていたのでしょうか。
そんなことに思いを馳せつつ、歩いて実感した「ギュッと」をお届けしましょう。
「ギュッと」その1
中津藩の藩医で蘭学者の前野良沢は、蘭学者の杉田玄白らと共にオランダ語の解剖書「ターヘル・アナトミア」の翻訳に取り組み、「解体新書」の出版にこぎつけました。メンバーに御殿医の桂川甫周もいて、彼の屋敷(京橋築地小学校そば)と前野良沢が住んでいた中津藩中屋敷(現在の聖路加国際大学そば、あかつき公園あたり)は、徒歩で約10分の距離。若かった甫周なら、走って5分でしょうか。
行き詰った訳語に名訳がハタと閃いたら、すぐ駆けつけて相談できる近さに住んでいたのですね。
「ギュッと」その2
現在放送中の大河ドラマ『晴天を衝け』は渋沢栄一が主人公。彼の足跡は中央区のいろいろなところで目にします。銀行発祥の地や東京商工会議所発祥の地はその代表的な例でしょう。
明治初期に外国人居留地だった築地・明石町界隈を歩いているとき、靴業発祥の碑の碑文に渋沢栄一の名を見つけ、本当にありとあらゆる事業の後押しをしたのだなと実感。渋沢栄一が設立に尽力した東京商工会議所から、靴業発祥の地まで徒歩で約15分。後に評議員を務めた聖路加国際病院までも徒歩15分ほどで行けます。茅場町の第一国立銀行まではさすがに徒歩で約30分はかかりそうですが、馬車や自動車が普及した頃には尚更「すぐそこ」感だった、と言えるのではないでしょうか。
靴業創業の後に東京商工会議所は設立され、かつ、忙しかった渋沢栄一がいつもそこで執務していた訳ではないでしょう。しかし、多くの産業や事業の勃興期に、産業の源が「ギュッと」揃っていた中央区。依頼や相談したい人たちにとって、思い立ったら即行動に移れる中央区は魅力的だったと思います。
ちょっと昔の「ギュッと」でした。
今もたくさんの「ギュッと」、例えば諸国往来を実感する飲食店やアンテナショップが数多くある中央区。それらを満喫できる日々が早く来ることを願いつつ、各自ができるコロナ対策をしっかり続けていこうと思います。