新橋演舞場の起源「東をどり」とは?

新橋演舞場の起源「東をどり」とは?

2023.05.08
東銀座のまち
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毎年5月になると新橋演舞場で上演される「東をどり」。

普段は一見お断りと閉ざす花柳界の門が、年に一度の「東をどり」の3日間は、その扉を開きます―

「東をどり」動画

新橋演舞場が3日限りで料亭に替り、新橋芸者衆の華やかな踊りを堪能したり、料亭の美食に舌鼓を打ったり・・・。日本の美が凝縮された公演は、毎年多くのお客様で賑わい、東銀座エリアの風物詩にもなっています。

そもそも「東をどり」はどのようにして始まったのか。それは新橋演舞場の歴史に遡ります。

新橋演舞場

新橋演舞場の新築開場は1925(大正14)年4月のこと。京都や大阪には立派な演舞場や歌舞練場があるのに、東京にないというのは残念だという川村徳太郎(新橋花柳界の重鎮で、置屋森川家主人)の発案で、五業組合の協賛のもとに新橋演舞場株式会社を設立したのが起源といいます。

新橋演舞場が建てられたのは、当時の東京市京橋区木挽町10丁目14番地(のちの6丁目9番地、そして現在の中央区銀座6丁目18番2号)で、この場所は、偶然にも芝居狂言『加賀見山旧錦絵』のお初が、主人尾上の敵である岩藤を討った松平周防守の下屋敷跡でした。

建設以前は、狭い川に面した荒れ果てた空き地で、草木もうっそうと茂り、夜は道行く人も珍しい実に不気味なところだったといいます。そこに定員1,679人の三階建ての立派な劇場が建てられたそうです。

多くの優れた専門家が結集し1923(大正12)年に着工。その途中で関東大震災に遭い、一時工事を中止するハプニングもありましたが、20ヶ月にわたる全工事を完了し開場にこぎつけました。

そして当初目的だった新橋芸者の技芸向上を披露する場として、春秋二季に「東をどり」を主に公演することとなり、ここから「東をどり」の歴史がはじまります。

また、1982(昭和57)年には新装され、劇場は現在の姿に。ゆとりある客席空間、正面玄関のレンガなど、旧演舞場設計の精神が大切に受け継がれています。現在は、歌舞伎、新派、新喜劇、ミュージカルなど様々な公演を上演しています。

そんな新橋演舞場の起源である「東をどり」公演も今年でなんと98回目。再来年には100回目の節目の年を迎えます。

普段はなかなか入ることの出来ない花柳界の世界。日本が誇る粋や美しさを体感できる、年に1度の文化のお祭りにぜひ一度足を運んでみてはいかがでしょうか。

●「東をどり」
◇日程
令和5年 5月21日・22日・23日(全8回公演)
◇お問合せ先(チケット)
電話:0570-000-489/03-6745-0888
チケット : チケットWEB松竹 / カンフェティ
※新橋演舞場の窓口でも購入可能

「東をどり」公式HP

●「新橋演舞場」
◇場所
東京都中央区銀座6-18-2
◇アクセス
東京メトロ日比谷線・都営地下鉄浅草線「東銀座駅」徒歩3分
◇お問合せ先
03-3541-2600