東銀座と私 / 銀座 松﨑煎餅 8代目 松﨑宗平(前篇)

東銀座と私 / 銀座 松﨑煎餅 8代目 松﨑宗平(前篇)

2024.07.18
東銀座と私
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今と昔を結ぶまち、東銀座。まちや風景は変わってもそこで過ごした時間やかけがえのない経験はいつまでも心に残り続ける―
東銀座にゆかりのある方々に東銀座や銀座、築地などを含め、このエリアで過ごした想い出やこれから期待することなどを文や絵など形態にとらわれず、前篇・後篇として2回にわたり自由に綴っていただくエッセー企画「東銀座と私」。
その第9弾となる今回は、銀座の老舗・銀座 松﨑煎餅の8代目として革新的な商品を生み出し、和菓子の新たな可能性を追求しながら、DJアンコマンとしても活躍している松﨑宗平さんに生まれ育ったまちの想い出や今後への想いをご寄稿いただきました。まずは前篇をお届けいたします。

MATSUZAKI SHOTEN(銀座 松﨑煎餅 本店)

銀座 松﨑煎餅 店主の松﨑宗平と申します。弊店は1804年に今の港区、芝の魚籃坂で誕生し、本年5月で220年を迎えました。当時から今も続く瓦せんべいと、饅頭を販売していました。銀座の歴史は、1864年(慶応元年)から始まります。当時、弥左衛門町と呼ばれていた、今の並木通り沿いに店を構えます。

私が生まれ育ったのもまさにその場所で、10歳頃までは、銀座が地元でした。地元といっても、時代は昭和後期。近所に住む友達もおらず、遊びに行く場所と言ったら、数件隣の天賞堂さん(当時はラジコンなども扱う模型売場がありました)や松屋銀座のおもちゃ売り場、そして、4丁目の中央通り沿いにあった金太郎さんというおもちゃ屋さんでした。ほんの40年前の話ですが、今とは少し雰囲気が異なり、ラグジュアリーブランドの路面店やファストファッションのお店は少なく、たくさんの銀行がある、商業とオフィスが混在する街だったような気がしています。

東京の盛場-シンガーミシン、金太郎玩具店(昭和4~5(1929~1930)年
(写真提供:中央区立京橋図書館)

私は、上下スウェットで銀座をうろちょろしていたので、今考えるとかなり浮いた少年だったのかもしれませんが、その影響か、今でも街で仕事をする中で、すっかり他のきちんとした装いの皆さんと風貌の異なるドレスコードで仕事をしております。

銀座という街は、とても横のつながりが強く、日々日頃連絡をとり情報を共有しながら各商店同士、自分のことだけでなく街のことを考えて行動していると感じています。イメージとしては、みなさんのお家の近くにある商店街を想像していただけるとわかりやすいかもしれません。実際、他の街の商店街の会合に参加すると、銀座で話し合っていることとそっくりと感じることも少なくなく、銀座をあらためて大きめな商店街なんだと感じます。

現在、東京を代表する都市では、大きな企業がしっかり根をはり、街のことを考え、さまざまなアクションを起こしています。目に見えることだけではなく、災害対策だったり、ゴミの問題だったり様々なことを日々考えています。企業ということもあり、組織の強度も高く、迅速かつスムーズにことが運べることは大きな強みで、銀座とは異なる部分だと日々思います。しかし、逆に、各商店が事業の大きさに関係なく、声をあげられることは銀座の面白みに直結しており、他の街との差異化をしっかり作ることができている理由になっています。

三十間堀川-綜合ビル屋上より木挽町方面を望む 埋立開始(昭和24(1949)年)
(写真提供:中央区立京橋図書館)

そもそも銀座という街は、
・昭和通りの1本西側、三十間堀(昔は川でした)から西側1〜4丁目エリア(京橋二の部)
・三十間堀西側5〜8丁目エリア(京橋三の部)
・三十間堀東側1〜8丁目エリア(京橋四の部)
をまとめて指します。
銀座で仕事をしていくにあたり、街を一つの大きな面として捉え、如何に多くのエリアを回遊して楽しんでいただけるか、そんな視点で街づくりをしています。

今回の話のテーマは「東銀座と私」、銀座視点の話とは少し違ってきます。実際、銀座にいると、晴海通り(二の部と三の部の間の道)、昭和通り(二、三の部と四の部の間の道)を川と比喩することがあるくらい離れているイメージがあります。特に、昭和通りは大きく、街の雰囲気もがらりと変わります。

そんな東銀座(昔は木挽町と言われていました)に松﨑煎餅は移転しました。この大きなエリアの違いは自分が実際身を置くことでより強く感じることとなります。あくまで個人的な視点ですが、銀座のある種完成された雰囲気とは異なり、東銀座には自由と良い意味で完成されていない伸びしろがあると思っています。もちろん、歌舞伎座や新橋演舞場を中心に芸能の街という面は強くあるものの、その中で商売をしている我々の色はさまざまで、街を楽しみにいらっしゃる方々も様々です。海外や地方からいらっしゃる方はもちろん、東銀座に住んでいるという方も多いです。後篇では、東銀座に来て感じたことや、私が勝手に期待する東銀座の未来像の話をしたいと思っています。

(後篇につづく)

<プロフィール>
松﨑 宗平(まつざき・そうへい)
1978年生まれ。 大学卒業後、グラフィックおよびWEB デザイ ンを行なう IT 企業での勤務を経て、2007年に(株)松崎商店へ入社。2018年に(株)松崎商店代表取締役に就任。1804年に芝で創業し、1865年に銀座へ移転した銀座松﨑煎餅は、200年以上続く老舗の伝統を大切にしながら、地域密着をテーマにしたコンセプトストアなど、時代の変化に合わせた新しい事業を展開。2021年夏には、本店を東銀座へ移転し、屋号をMATSUZAKI SHOTENに変更。また、和菓子をもっと身近に。をテーマとするDJイベント「アンコマンないと」を都内中心に不定期で開催、自身もミュージックセレクターとして活動している。

「銀座 松﨑煎餅」 公式HP DJイベント「アンコマンないと」 公式facebook

2024年7月19日(金)「アンコマンないと」を東銀座フェスタ2024にて開催!

東銀座フェスタ2024 公式HP