ABOUT
東銀座エリアとは
江戸時代
芝居のまち
「築地」という地名に由来するのは、かつて海だった場所に「地を築いた」歴史。大半が海の底だった東銀座は、江戸時代初期に埋め立てられ、大名屋敷や武家地が広がる地となります。また、森田座・山村座・河原崎座の木挽町三座が賑わっており、「芝居のまち」としてのルーツが始まったのもこの時代でした。
明治・大正時代
今も続く料亭街のはじまり
幕末から新橋の花柳界が活性化。現在新橋演舞場がある場所の周辺を中心に、築地エリアにまで広がる料亭街が形成されます。また、築地外国人居留地の開設に伴い街も西洋風に彩られ、お屋敷街となりました。東銀座のシンボル、歌舞伎座が開場したのもこの頃です。しかし1923年に関東大震災が発生。復興計画で昭和通りや晴海通りが整備され、西洋色が薄まった結果、多様性が生まれます。
現代
日本文化×食×エンタメのまち
東銀座へ
かつてこの地を流れていた築地川は埋め立てられ、立ち並んでいた武家屋敷も今はオフィス街へと変化しました。しかし、江戸期にルーツを持つ芝居、明治期からの料亭にもルーツを感じる多くの名店、昔から築かれてきた東銀座の魅力は不変です。
そんなこのまちの魅力を発信するため、2022年から東銀座エリアマネジメントは始動しました。