三原橋は何処へ

三原橋は何処へ

2022.01.24
東銀座のまち
  1. twitter リンク
  2. LINE リンク

万年橋、祝橋、市場橋、采女橋…
東銀座には、「橋」とつく地名や交差点名が多いと感じた事はありませんか?
川もないのになぜ「橋」というワードが各所でみられるのか。今回はその理由を探るべく、「三原橋」に焦点を当てて謎を調査してみました。

現在、昭和通りと晴海通りがクロスする交差点の名前が三原橋となっていますが、実際に橋梁としての三原橋が存在していたのは、もう少し銀座4丁目交差点寄りの位置でした。

1952年から2014年までここの地下には商業施設があり、その中には映画館があったのだとか。上は晴海通りで、当時は都電が行き来していた為、その度にゴトゴトと館内に響いていたそうです。

今ではすっかり整備され、かつて橋があった面影も、地下街があった面影も残っていません。
東銀座~銀座の地下道も同時にリニューアルされ、壁面にこの付近の歴史的写真があります。

地下道

これこそが、かつて存在した三原橋だそう。

三原橋
三十間堀川

ここには川が流れていたのですね!

右上の大きい建物は歌舞伎座で、「復興の東京 1923年末頃製作」と記してあります。

三原橋は三十間堀川に架かっていた橋。江戸初期はここが海岸線で、日比谷入江を埋め立てた際、ここを埋め残して作られた水路だったとのことです。
この川が埋め立てられたのは1949年頃。埋め立ての理由は、終戦後の占領軍が東京都に対して残土やがれきの片付けを命じたものの、重機やガソリンなどの燃料もなく、近くにあったこの川に投げ込んだ為だそうです。

三原橋に限らず、東銀座エリアの多くの橋は撤去され、多くの川が埋め立てられました。冒頭で述べた「橋」という名がつく場所は、かつて川が流れていた数少ない名残だったのですね。

現在、銀座松竹スクエア内で、『川と橋、そして時々滝 ~銀座の今昔~』と題したアートオブジェが展示されています。本作は、川と橋という表現を用いて、江戸から明治、大正現代までの時間の変化を表現し、かつて水都であった銀座を想起させます。(終了日未定)

『川の橋、そして時々滝 ~銀座の今昔~』
原倫太郎+原游

是非とも足を運んで、東銀座に流れていた川と、かつて架かっていた橋に思いを馳せてみては如何でしょうか。

文: 皐月の鯉の吹き流し