晴海通りや地下鉄日比谷線・築地駅からほど近い、オフィスビル群の隙間に突如として現れるレンガ造りの建造物。よく見ると、「築地小劇場跡」と記されています。ここには、1924年(大正13年)から1945年(昭和20年)にかけて、新たな表現を模索する若者たちが切磋琢磨した近代演劇の実験場がありました。
日本初の新劇の常設劇場が東銀座にあった「築地小劇場跡」
東銀座エリアには、歌舞伎座や新橋演舞場、築地本願寺ブディストホール、東劇など、演劇やコンサート、映画などを楽しめる様々な施設があります。劇場街でもある東銀座の街で、日本初の新劇(※)を上演する常設劇場として建てられたのが、この「築地小劇場」。
「築地小劇場」は、演出家・土方與志(1898-1959)が、劇作家・演出家の小山内薫(1881-1928)らとともに私財を投じて建てました。演劇研究のためにヨーロッパに留学していた土方は、1923年9月1日に起きた関東大震災の知らせを聞いて急遽帰国。震災復興を促すために一時的に建築基準が緩められたことを知り、劇団「築地小劇場」を結成、1924年6月13日に「築地小劇場」を開場しました。日本で初めての劇団を持つ劇場となったのです。
ヨーロッパの建築様式を踏襲したこの劇場は、定員400人余の1階建、ゴシック・ロマネスク様式で、クッペル・ホリゾントや可動舞台など、当時の最新の設備を取り入れ、新劇を上演するには最適な劇場でした。また、その活動方針も新しい試みに満ちたものであり、研究生募集による俳優の養成もおこなったことで、数多くの戦後の演劇界を担う名優やスタッフが生み出されました。
記念碑には「大正末から昭和にかけ、新劇の本據として 大いにその發展に寄與した。戦災で焼失。」と刻まれています。
1945年(昭和20年)3月10日の東京大空襲で劇場は消失し、現在は劇場の姿を見ることはできませんが、「築地小劇場跡」の記念碑があることで、日本の演劇界を前進させたクリエイター達の熱き情熱や、東銀座が当時から文化の醸成地だったことを感じられます。
今も静かに東銀座の文化を見守る「築地小劇場跡」を訪れ、当時の演劇人たちに想いを馳せてみませんか?
※ヨーロッパ近代劇の影響を受け、歌舞伎や能(古典芸能)、新派劇などの旧劇に対抗して明治末期以降に興った日本の演劇。